言わなくてもいいことの主人公について

言わなくてもいいことが、段々ふえてきて、簡単に口を開くべきではない、ということに替わってきている。
がんじがらめというには遠く、緩やかな縛りではあるが、油断するとついほころんでうっかりこぼしてしまい、それはかとなく「言わなくてもいいことの主人公」だった誰かを傷つけてしまう。言わなくてもいいことはそもそも知らなくてもいいことでもあって、知らなくてもいいことは知りたくなかったことでもあった。
誰かの秘密や、物事の裏話は、耳にするときなんやかんや結構楽しい。酒が入っていると尚更だ。
しかしそれが言わなくてもいいことであったとき、耳にした瞬間から荷物になっているかもしれない。どこかで「言わなくてもいいことの主人公」と相まみえた時、その荷物(=予備知識)がどのように展開するかは、荷物を受け取った時の感じ方と、荷物の保管の仕方次第なのだ。

隠したはずの荷物の一部がガランと落ちて、主人公が「あ…それは」となった時。
三者に渡してしまった荷物が、回り回って主人公に届いてしまった時。

荷物はいつの間にか爆弾になっていたかのように感じるが、実は最初から爆弾だったんだろう。言わなくもいいことは、言ってはいけないことなのだと思う。言ってもあまり差しつかえないものは、数%差しつかえるのだ。

どんなに信頼する友人にも、愛する恋人にも、伴侶にも、言わなくてもいいことがなにかひとつはあって、彼らを愛するのであればやはりそれは言わなくていいのだろう。
そう信じてやまないのであるが、インターネットには、言わなくてもいいことが四六時中飛び交っている。
「愛なき時代に生きてるわけじゃない、強くなりたい、やさしくなりたい」という歌詞が昔流行った曲にあった。 愛がないわけでもない時代に、言わなくてもいいことを言わなくていい強さとやさしさが必要なくらいでは、愛はない時代なのだなと思ってしまう。
言わなくてもいいことの主人公に、いつだって自分もなりえるのに。