終わってしまった漫画をおもうことについて

週刊ヤングジャンプで連載していた『東京喰種:re』の単行本完結巻が出た。今回の記事に、それがどんな漫画かという点はあまり関係がない。終わってしまった漫画についてではなく、終わってしまった漫画をおもうことについて。

僕には好きになった漫画に対して「最近面白くなかったけどまた盛り返してきた」といった、変化している【面白さの波】を感じることがまずない。一度「好き」と頭が決めたら、極端な話「面白くない」と感じることがない。
それは好きになった作品と、その作品を好きになった自らの感覚を信頼していると言えばきれいだが、好きになった漫画へわく愛着がただただ半端なくて、あとは単純に漫画音痴なんだと思う。

巻数が少ない頃は(面白いよねえ!⇔だよね!)といった、想いを共有できる人が結構いたが、巻数が増えるにつれ、共有できる人が減っていく。漫画の終盤にはもう周りに自分と同じ温度で同じ漫画を読んでいる人がいなくなる。
連載が長引けば、その時間の分だけ新たな才能が生まれ、素晴らしい漫画が話題と共に読者をさらっていき、アンテナが高く立っている人ほど、話題作への飛び付きがはやく、イマイチな展開をだらだら続ける漫画への見切りも早い。
読者も色々と人生が忙しい、読める漫画の数には限界がある。
時間と共に下がる温度は不可抗力的な部分があると思う。
ちなみに今回完結を迎えた漫画が盛り下がって終わったとか、人気が細ったとか、そういうことでは決してない。あくまで、僕の周りという極めて狭い世界の話である。

終わってしまった漫画をおもう。
クライマックスに向かって高まる筆圧を感じるたびに胸が熱くなり、続きを読みたいのだけど、段々残りが減っていくページをめくるのがはばかれた。ページをとつとつと噛みしめるように読んだ。
今回完結を迎えた漫画も、まさにそういう漫画だった。

少し話は逸れるが、僕は好きな漫画のアニメも実写映画も、見ない。
好きな声優さん、俳優さんがいないわけではないが、僕の好きな漫画の登場人物の声は僕の頭の中でのみ完成形で存在した。登場人物を友人のように感じ、物語がリアルな人生の一部に同化する。好きな漫画は、不可侵。
こういう人きっと僕以外にも沢山いるはず、と勝手に信じている。

終わってしまった漫画をおもう。
好きな漫画が連載されている間は、言っては青春なのだ。好きな漫画が完結すると、ひとつの青春が終わる。
好きな漫画と出会うたびにどはまりして、また次の青春が始まる。だから僕の青春は何度も来て、何度も終わる。
幾つ歳を取っても、また何かしらその時好きな漫画で何十回目かの青春の中にいる。
好きな漫画が終わるたび、漫画のことをまた好きになる。